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聖母マリアと私 パートI:2006年の12月5日まで

カ トリックの教えにどのように導かれたのか、説明するのは難しいです。事実、私はマグダラのマリアに関係したグノーシス派の教会に通っていました。昨年の夏 にマグダラのマリアに宣誓をして、彼女に関係のある教会に通い始めました。同時期に、カリフォルニア・ミッションについて学ぶことに興味を持っていまし た。私は人類学専攻で、彼らの地域のインディアンに対して、ミッションがどのような役割を果たしたのか知りたいと思っていました。去年の9月の最初の金曜 日に、カーメル・ミッションを訪れて、Our Lady of Bethlehemの像の前で祈りました。それは、私が初めて教会でキリスト教に関連のある像に対しての祈りでした。ヨハネパウロ2世が個人的な祈りを捧げたことが足元の石 版に掘られていたので、私にも信仰深い人々のように祈れるか試してみたかったのです。私は、大学での差別に対しての平和的な解決をその時にOur Lady of Bethlehemに対して祈りました。教会のメインホールでは結婚式の演習が行われていたので、真剣に祈れるか心配でした。驚くべきことに、パイプオルガンのお陰で祈ることに集中できました。

カー メル・ミッションを訪れた次の日、土曜日に、サンノゼ・ミッションに向かいました。私はその時、そこの保護聖人が、聖母マリアの配偶者である、聖ジョセフ だとは知りませんでした。お土産用にそこで、小さなロザリオを購入しました。正直に言うと、ロザリオは何に使うものか知りませんでした。大きさと形が良 かったので、私は買いました。

9月の中頃、サンタクルーズ・ミッションを訪れました。ミッション・カーメルで見た、Our Lady of Querretaroについて興味があって調べていました。私が通っている教会では、グノーシスについてと、Holy Sophiaについて学んでいたので、Holy Sophiaに関連した、他のフィギュアについて興味を持っていました。スペイン語で、「querre」は、容器を表す言葉です。私は、そのフィギュアのカリフォルニア・ミッションでのルーツを探していました。サンタクルーズ・ミッションで、Our Lady of Guadalupeの大きな絵画を見かけました。レジで働いていたお年寄りの女性が、どのようにカリフォルニア・ミッションでOur Lady of Guadalupeの 像が有名かとか、簡単な歴史について説明してくれました。一目で、彼女の神秘的な微笑と、原住民が使う模様の入ったドレスが巣晴らしくて、その絵が好きに なりました。その絵と同じ像が掘り込んであるペンダントと、私が買っていた鳥の為に、動物の守護聖人である聖フランシスコの像が付いたペンダントを購入し ました。

一週間後に、グノーシスの教会で、聖フランシスコを祝う日がありました。聖フランシスコを知るために、古本屋で、彼に関連する本を2冊買いました。これは、祝日の前にしました。

10 月16日に、授業に向かう途中で私は精神病院に送られました。人類学のオフィスで、大学警官2人によって手錠を掛けられました。これは、教室の前に立って いた人類学の学部長が、私に彼女のオフィスで話があるからと言われて付いていった結果でした。カウンセリングサービスの責任者が私と面会せずに強制入院の 書類を書きました。最初の精神病院で、アフリカ系の警備の人が私が持っていたロザリオを安全の為に取り上げました。しかし、Our Lady of Guadalupeの像が付いたペンダントは所持を認められました。

10 月17日の朝に、救急隊が私に拘束具を付けて、別の都市にある精神病院に送りました。そこでは、「薬物」による私の殺害を聞かされました。大学の人事課の 責任者と連絡を取ることが出来たので、彼らは殺害には不自然な状況だと思ったらしく計画を中止しました。睡眠薬を毎晩投与されて、眠っている間に強姦され ました。私の身体的な特徴を大学からのインターンの学生がそこで話しているのを聞いて、彼らがその様子をビデオに撮っていたことを聞かされました。病院に 入院している間、それだけが祈りの対象になるので、ペンダントは一度も外しませんでした。

セラピストと話して、学生の差別に対して何もしないことに合意しました。それから、人事課の差別の調査を中止することにも同意しました。セラピストは私の両 親が日本から次の週の水曜日にアメリカに来ることを知っていて、病院に入院を続けるかどうか尋ねました。なぜ病院にいなければならないかわかりませんでし た-毎朝、下腹部に痛みがあって出血していて、頻繁な鼻血が起きていました。私は教授や学生のおもちゃではありません。

次の週、私の両親が来米して、「集団ストーカー」によって人質にとられました。彼らは、両親を殺して、精神病歴の付いた私に罪を被せる計画を立てました。アリバイを作る目的と、州知事に証拠を提出する目的で、州都に出向きました。

状況を変える模索をしている間に、私の両親はマインド・コントロールを受けました。しかしながら、証拠を提出した手際によって、彼らは私が有能だと思ったよ うです。実際、私とカナダで結婚したいと言っていた教授に同意しようと思いました。病院で私の体を弄んだ教授とフランス語を話す国で結婚するのは、それな りの解決策に思えました。そうすることで、マグダラのマリアに関する勉強を続けることが出来るし、差別とレイプをマグダラのマリアの教えに従うための運命 だと思えたからです。

しかしながら、教授に裏切られて、彼女は同学部のほかの教授と結婚することにしました。結果として、また「集団ストーカー」に何処にいこうが脅されることに なりました。今回は、政府関係者の人たちに追われていました。行き場がなかったので、夜中にサンタクルーズ・ミッションの近くに車を止めて、病院でやって いたように、詩を書いたり、Our Lady of Guadalupeに対して祈っていました。

射殺されると脅されて、私はサンディエゴまで運転して、カリフォルニア・ミッションの巡礼を始めました。11月28日にサンディエゴに向かいました。聖域を 探すために、ミッションの中で時間を過ごしました。もちろん、何処に行こうが、「集団ストーカー」の被害者は安全ではありません。しかし、私はそれぞれの ミッションの守護聖人とOur Lady of Guadalupeに祈りました。そこで、私が行ったキャンドルの奉納は、彼らによって撤去されると聞かされました。ソノマ以外のミッションには、Our Lady of Guadalupeの像がありました。

中でコンサートが行われていたので、サンラファエルのミッションには入れませんでした。

帰国する前日に、巡礼を終えることが出来ました。ソノマのミッションには午後3時半に付きました。巡礼にどれくらいの時間が掛かるか予想も出来なかったの で、それは奇跡のように思えました。毎日、2、3箇所のミッションを訪れていたところ、そうなりました。たぶん、私は各ミッションで泣きつつ祈った数少な い巡礼者の一人です。もし、マグダラのマリアが信仰力の塔だとすれば、私は、人々により、差別されたりからかわれたりした、イエス・キリストの道に従うために、どのように信仰心を保てばいいか、学びました。