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マグダラのマリア

まず始めに、私 はマグダラのマリアに由来したソフィア系のグノーシス主義について勉強していたこともあり、彼女に対する私の理解は聖書だけに基づいたものではないことを 伝えておきます。私は聖書を宗教的な興味抜きに昔に読んだことがあります。そのときは、私の興味は人類の歴史の中でベストセラーである本に対してのもので した。なので、2006年まで、私はキリスト教にそれほど深い関心を抱いていませんでした。大学での問題もあり、人生に変化を必要と感じていました。それ から私はマグダラのマリアに誓いを立てて、彼女に由来したグノーシス派の教会に通い始めました。同時期に、宗教的な理解を深めるために聖書の勉強を始めま した。正直に言うと、私はまだキリストの教えを学んでいる途中です。グノーシスの書物も伝統的なキリスト教の書物も読みました。将来このページを書き換え るかもしれませんが、私の経験からマグダラのマリアについての考えを伝えたいと思います。

ソフィア系のグ ノーシス主義では、マグダラのマリアは聖なるソフィアの一部、もしくは究極の女性性、とみなされています。ロゴス、またはキリストをソフィアとのカップル にしています。その為に彼らの理解は聖書を読むことからは考えたり学んだりするものとは明らかに異なっています。確かに、彼らは独自の聖書とマグダラのマ リア、フィリップ、トーマスが書いたとされる福音書を使います。彼らはマグダラのマリアを一般的な罪人いったイメージでは捉えません。その代わりに、彼女 の堕落はイエスの助けによる救済に必須だったとしています。

それでは伝統的な聖書からの理解によるマグダラのマリアの説明をさせてください。カソリックはマグダラのマリアを「宗教心の塔」と見ていますし、私はカソリックに改宗したのでその方向からの視点で彼女について説明したいと思います。

マグダラのマリアは罪 人と呼ばれていました。私たちは彼女がどのような罪を犯したのか知りません。私たちが知っていることは、イエスは彼女の罪を知っていて、とても罪深い人は 許されたときにより多くの恵みを受けると言っています。イエスはよく罪人や虐げられた人と会話をしています。ある時は、イエスは税徴収人に彼に従うように 尋ねました。そのような先生の態度からは、私たちは彼が人々を罰するよりも神の慈悲を示しに来られたのだという事を知っています。

私がグ ノーシスの教会に通っていたとき、そこには数種類のパンフレットが訪問者のために用意されていました。その中の一つは、ロザモンド・ミラー司祭によって書 かれていました。半分が彼女の伝記のようなもので、彼女はどのようにカストロ政権のキューバでレイプされたのか書かれていました。その頃は集団ストーカー についても、彼らが被害者に対して何をしているのかも知りませんでした。私は教会に通い始める前にマグダラのマリアに誓いを立てました。その後、学生が起 訴されないようにするために私は精神病院に送られました。その後病院でレイプされました。私の場合、私は強力な睡眠薬によって眠っている間に起きたので幸 運だったと言えます。司祭はキューバ兵の虐待を受けたようですから。私がグノーシスの教会の司祭と似たような経験をしたことを思い返したとき、「罪」の定 義は人間によって成されていることに気が付きました。社会によっては、レイプの被害者は罪人と考えられて処罰の対象にされることがあります。彼女のコミュ ニティーで、なぜマグダラのマリアが罪人と考えられていたのか私にはわかりません。私は集団ストーキングの被害者になり、彼らは私に疑惑をかけて犯罪者に でっち上げようとしています。

集団ストーカーは24 時間7日間を通しての監視とハラスメントによって私が自殺することを期待しています。クリスチャンは肉体は神によって与えられたものなので自らを殺すこと はしません。彼らが期待したこととは逆に、私は聖書に載っている物と載ってない物の両方の福音書を理解するように勤めました。

司祭は誰もがマ グダラのマリアの特徴を備え持っていると言いました。聖書やその他の福音書を読んだ後、あることに気が付きました。クリスチャンは救済者であるイエスのよ うになろうと努力します。私たちはイエスが行ったように行動して彼の考えを理解しようと勤めます。すべての聖人が同様の事を行いました。彼らはキリストを 理解しようとして、精霊の助けを受けて行動しました。

マグダラのマリアは聖書の中でも重要な人物の一人です。キリストの死後、精霊は信者が信心を保つように助けました。もしマグダラのマリアが信仰心の塔で戦車であるのなら、私たちは彼女の役割とどのように精霊が彼女の行動を助けたのか考える必要があります。

私は私 自身の中にどのようにマグダラのマリアの先生に対する親しみを見つければいいのか習いました。もし信心深くあり信仰心を保つ困難を抱いているのなら、誰も がそのようなアスペクトを持っています。もし私たちがイエスのやったことを真似るのなら、私たちはイエスのような人物になるように一歩近づきます。これは マグダラのマリアのようになることも同様だと思います。私が暗殺計画によって自宅から逃亡を余儀なくされたとき、アッシジの聖フランシスコに祈りを捧げ、 宗教書と共に彼のように旅を続けました。カソリックは自身を罪人だとみなして懺悔をします。もしマグダラのマリアが罪人だと思われているのなら、私たちは 彼女から懺悔の方法を学ぶことが出来ます。過去の信心深い人たちや聖人の生き方を考えれば、私たちはキリスト教に対しての理解を深められます。ちょうど哲 学が人間を理解するものであるように、キリスト教の基本的な部分はキリスト自身を理解するものだと思います。

それでマグダラのマリアとは誰なのでしょう?その答えはあなたの心の中にあるはずです。

01/02/08