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要約

これは何が起きたかの短い要約です。数年前から監視を受けていたように思われます。彼らにどれだけの期間尾行されていたのかわかりません。ここでは重要な部分だけを挙げることにします。

1.プロジェクト・シャインのボランティアの指定先で中国人のお年寄りと問題がありました。これはE-L教授の授業の一環でした。

2.Anth187のクラスで、人類学専攻の学生がハラスメントを始めました。彼らは変な噂を流したり、私を無能だと決め付けていました。これは、プロジェクト・シャインのコーディネーターが始めました。

3.W教授が私に対して学校で堂々と誘惑している時期に、Anth187担当の教授とW教授は婚約しました。学生たちはW教授が私を彼女の愛人にしようと計画していることを知っていました。

4.学生アドバイザーは、学生たちの話を信じて、何もしてくれませんでした。

5. 学生たちは私のアパートに入居してきて、ハラスメントを自宅でも始めました。私の部屋を盗聴して、ファイバースコープ型のカメラを通気溝を通して私の部屋 に入れました。彼らの話しによれば、キッチン、リビング、ベッドルーム、バスルームにカメラを取り付けていたようです。彼らが入居してきてすぐに、誰かが 私の車のプレートナンバーを盗みました。

6.カウンセリング・サービスの責任者と話したところ、彼女は学生がやっていることへの関与を否定しました。

7.彼らはW教授と私のカナダでの結婚を計画しました。でも、私が拒否したために、W教授は学校で泣き出して、周囲の人に慰められました。

8.LING101のクラスで、クラスの代理教授が新しい言語学の学部長になると発表して、その後、担当予定だった教授が授業に復帰しました。その後、そのクラスの学生が私についてドイツのスパイだと噂を流しました。

9.人類学の学部の問題もあったし、言語学に移動しようと思っていた矢先に上のようなことが起きて、ほとんどのクラスでハラスメントに遇っていたので、大学警察と人事課に証拠を持って相談に行きました。

10.2つの施設に調査を依頼した次の週、大学警察の警官に手錠を掛けられて、精神病院に送られました。これは、私がAnth142のクラスに向かっていたときに起きたことです。E-L教授(学部長)は、彼女のオフィスで話しがあるといったので、付いていったら警官が待ち受けていました。

11.警官が手錠を掛けたときに説明してくれたように、私は2つめの精神病院に送られました。そこで私の体に実験が行われたみたいです。朝起きると下腹部からの出血があり、鼻血が頻繁に起きました。大学の学生がその病院では働いていて、K医 師はカウンセリング・サービスの責任者と知り合いです。診断は、自殺の傾向がある、他人に危害を加える恐れがある、重度の精神障害、パラノイア、でした。 最初から、偽りの書類ですべてを覆っていたようです。香港系のオキュペーショナル・セラピストのジェニファーに、私が一度でも自殺を考えことがあるか、執 拗に聞かれました。

12.病院から退院した後、私の家族が日本から来ました。彼らは、両親を殺して、精神病歴のついた私に罪を被せる計画を作っていたようです。州都に証拠の提出のために運転していったら、周囲の「集団ストーカー」が急に友好的になりました。しかし、W教授に欺かれて、彼女が「集団ストーカー」に私を消すことを依頼しました。

13.日本領事館を訪れて、そのときに後ろの部屋から盗聴をされていることに気づきました。そこで、「秘密警察」と、「FBI」の関与について聞かされました。その後、私が帰国したときに精神病院か刑務所に送ると仄めかしているストーカーの人たちに遭いました。

14.どこでも援助が得られなかったので、CIAに ついてとアメリカ文化の知識がそれなりにあると思ったので、私の飼っていた鳥と私の安全を保障してくれるかと思って、ロシア領事館に入りました。しかし、 亡命への知識がなかったので、そこでは何もしませんでした。だから、領事館を訪れただけです。建物から出てきた時に、アジア系の男の人が路上で写真を撮っ ているのを見かけました。領事館あてに書いた手紙が私のカバンから消えていました。

15.ドイツ領事館に入って、言語学のクラスでドイツのスパイ容疑を学生から受けたことについて話しました。担当の人は住所の書いてある紙をくれて、領事館に証拠のCD-ROMは郵送してくれと言われました。

16.これらの領事館に入った後、「集団ストーカー」の種類が変わって、DOD(防 衛省)のステッカーを車に付けた人たちになりました。それから、彼らの仄めかしも、脅迫するようなものに代わり、私のアパートにいることは危険になりまし た。精神鑑定の「自殺の恐れのある」と言う部分を証明するように、殺害の計画を立てていると聞かされました。サンディエゴまで逃げて、カリフォルニア・ ミッションの巡礼をしました。巡礼途中で死亡したら不審に思われるだろうと思っていました。それに、巡礼途中で死んだ場合、殉教に当たるとも思っていまし た。(補足ですが、カリフォルニアの最初の殉教者はサンディエゴでです)

17.日本に帰国する前日に巡礼を終えました。日本のジャーナリストの数人に、旅行の安全のため、証拠の一部を送りました。

18.日本では特にそれほど起きませんでした。監禁とかはなかったです。ただ、「集団ストーカー」に尾行されて、食事に異変を感じました。私の両親は「マインド・コントロール」を受けていて、彼らの不審な言動を観察する機会がありました。

19.サンノゼのアパートの部屋の引越しを終えるために07年の2月1日にカリフォルニアに戻りました。W教授が私の部屋の上の部屋で待っていました。フランスで勉強したいなあと、部屋の中で呟いたら、「G教授の方がいい!」と、彼女が泣き叫んでいるのが聞こえました。

20.W教授の提案を拒否した後、ニューロフォンのような電子ハラスメントの機器が作動し始めました。アパートの入居者が私の殺害を仄めかしていました。それに、日本語を話す、背広を着たアジア系の人たちを私のアパートで見かけました。サンディエゴに逃亡することにしました。

21.カリフォルニアを移動中しながら安全な場所を探しました。ブエルトンに滞在したときに、Yahoo! Groupや他のGang Stalking 被 害者と連絡を取りました。それから、サンフランシスコに滞在していたときには、シリア、レバノン、イランといった国の政府関係者にいくつかの情報を送りま した。アメリカの「集団ストーカー」が私を殺す前に、私が持っている情報が役に立つ人たちに送りたいと思いました。逃亡中に、DODの人たちをまた見かけていました。

22. 日本に帰国したときに電子ハラスメント機器を取り付けられたり、彼らの脅しも前よりひどいものになってきたので、ヨーロッパに逃亡することにしました。昨 年のワールドカップを見に行こうと計画していたので、ドイツへの旅行はビザも帰りのチケットも必要ないと知っていました。それで、ルフトハンザの飛行機の チケットを買いました。空港で、メルケル首相に宛てて、アメリカの「集団ストーカー」と電子ハラスメント機器に興味があるドイツの人がいるかどうかと言う ような手紙を書きました。

23.ドイツで、日本人旅行客で、大学の私を起訴する予定を仄めかしている人たちを見かけました。それから、ストーカーの人たちを見かけました。

24.ロンドンは、食事以外はそれなりに安全でした。

25.フランスで、カトリックの教会は「集団ストーキング」の援助をしていることを知りました。地下鉄や教会で子供たちに囲まれました。小さな町で会った日本人のシスターには、学校の情報を広めずに帰国することを促されました。(SFの日本領事館の人たちにも資金の半分は連邦から出ているのだし、大学の情報は広めないようにと言われていました。ジョン・エドワーズという、パロ・アルトにあるグノーシスの教会で会った人にも、SJSUの オンブズマンは張子だし、黒幕は学校の風評にとても敏感だからと言われました。)ロンドンからの旅行で、往復にしていて良かったと思います。聖域で日本人 のシスターと会った時に、フランスの次に行く国の旅のプランや、私のドイツ語の能力について聞いてくる人たちに合いました。そのシスターに、私が会った人 たちはドイツ語を喋れると後に教えてもらいました。「ドイツ・スパイ」の容疑を彼らは使いたがってるように見えました。

26. アムステルダムに向かう途中、ベルギーから日本人のカップルがバスに乗り込んできました。同じバスの中で、中国語を話す2人のアジア人男性がいました。ガ ソリンスタンドでの短い休憩時に、日本人カップル、アジア人男性2人、とそれに私だけが車内に残りました。私が席を離れないのを見て、彼らがぎこちなくし ていました。

27. アムステルダムで、最初にチェックインしようとしたホステルは満員でした。2つ目はなぜかがら空きでした。従業員に男の人たちと同じ部屋がいいか聞かれま した。女性専用の部屋を聞いたら、部屋番号とは別の番号が書かれた鍵を貰いました。(ロンドンでは、部屋番号が紙に書かれて、金属の番号プレートの上に 貼ってあるホテルに泊まりました。何故そんなことが起きるのかわかりません。)地下鉄で、財布を盗まれて、助けてくれる人がいるなら連絡しろと仄めかして いる人に路上で遭いました。彼女はフランス語のアクセントがありました。数日間の宿泊費が払えるのを見ると、従業員はお札を外に出かけようとしている人た ちに示していました。それから、安全の為に身分証明書を保管させるように言われました。パスポートのコピーを取ってから彼女に渡しました。10人程宿泊で きる部屋で、私がただ一人の宿泊者でした。

28. ジュネーブに移動して、ホステルでストーカーのような人と会いました。私が次の週までそこに滞在を予定したら、私下のベッドを使っていた女性が、同じ部屋 の私の下のベッドに移ってきました。イギリスの大学からだという、言語学を専攻している中国人と台湾人にそこでは会いました。彼女たちは国連を訪れている のだと言っていました。そのホステルのネットアクセスはアクセスカードをプロバイダーが供給していないとかで、使用できなくなりました。

29.ここから先の私の生活について書くことは出来ます。でも、安全な避難場所を提供してくれている政府の邪魔はしたくないので、書き込むのは控えます。私はただの難民ですから。