日本(06年の12月から07年の1月末まで)
-
2006年の12月5日に関西国際空港に到着しました。私の両親が税関の外で待っていました。飛行機での私の席は25Eだったか、真ん中で、後ろはトイレの壁になっていました。(これは2月の渡米でも経験しました。)飛 行機の中では、数人が携帯電話を使っていました。ナイフの付いたワイン・オープナーを手提げかばんの底に入ったままでしたが、サンフランシスコ空港のホー ムランドセキュリティの人たちはチェックしていませんでした。たぶん、彼らは私の記録に不審な点を追加したかったのだと思います。2月1日に同空港からア メリカに旅行するときに、警備員がワイン・オープナーを発見しました。
-
新幹線で帰宅するとき、中年の白人の人が、私たちの席から数席離れた場所に座っていた中国語を話す中年のカップルと話をしていました。彼らは英語で話していて、白人の人はその後去りました。それ以降は特に不振な部分はありませんでした。
ここからは自宅での経験です:
-
私の両親は時 々変な行動をしていました。時々、彼らの話し方が変わって、「ほのめかし」をされました。例えば、私の歯のクラウンが一部掛けたのに気づいた日に、私の母 が最寄の歯医者について話したことなどです。カリフォルニアに旅行する前日に、母親に大人用のオムツを便利だからと薦められたりしました。
-
いくつかの場所でストリート・シアターに出くわしました。例えば、顧客がいきなり受付の人に怒鳴り始めて、部署の責任者がでてきて話をしていました。その後、顧客は私の後ろの席に座って、私のほうを見ていました。
-
私の食事は薬品を与えるような目的で調査されていたようです。アメリカのスーパーマーケットと同じような状況でした。彼らはパッケージに小さな目印をつけていたり、両親にそれらを私のために交わせるように仕向けていました。
-
どこに向かおうと、警備用の標識を見かけました。例えば、「テロリズム警戒中」の標識を住宅街のど真ん中で見かけました。時々、男性のお年寄りが「防犯係」の腕章を付けて、町工場の前に立っていました。
-
片目が細菌に感染したとき、一方が真っ黒な、片目が見えない人用のような、眼鏡を掛けている人たちを見かけました。
-
歯医者に通っ たときに、私の母はなぜかその歯科医が地元の医大と関係があることを知っていました。その歯医者で、ニューロフォンのような装置を臼歯に取り付けられまし た。歯科助手が私の歯に詰め物をしているときに、なぜ私がアメリカに旅行するのか聞きました。彼らのために働くように、誰かが彼女に噂を流したようです。
-
私の両親は、私が何をしようと監視しているようでした。帰国の前に私の部屋を調べて、襖やその他の場所を改築していました。
-
近所の人たちは変わっていました。近所の人は同じ場所に住んでいるようでしたが、夜11時以降に他の人たちが訪れていました。過去には母親と男の子が住んでいた家のことです。一度、「国を守るためにやっとるんじゃー!!」と自宅の裏で叫んでいる男性の声を聞きました。
-
旧友の 家族が営業していた近所のスナックは市内の中心に移転していました。しかしながら、近所の元スナックがあった場所の外で「ほのめかし」をしている人たちを 見かけました。例えば、アメリカに旅行する前日の夜2時か3時に、中年の男2人女1人が「あっち行けー!」と叫んでいるのを聞きました。
-
新しい居住者が近所に入居してきた手口は、アメリカの「集団ストーカー」と同じようです。「集団ストーカー」は、対象者の住む場所に隣接した部屋や家に陣取って、監視を楽にしているようです。
-
私の両親は、いろいろな人から食料を受け取っているようで、しきりにそれを私に勧めてくれました。こういったことは、「集団ストーカー」が汚染された食料を与えようとする典型的なやり方です。食料の一部は、私の母の両親が住んでいた家の近所の方からでした。
-
母の妹は、彼女の両親が住んでいた家に住んでいましたが、自宅で人々が彼女に対する噂をしている幻聴を聞いたという理由から、精神病院に入っていました。
-
私 がアメリカにいたとき、父親が車の事故を起こしていました。私の母は新しい軽自動車を購入していました。新しい自動車のナンバーは、日本の被害者のサイト でも話題になったことのある特徴的な番号でした。二つ目のナンバーは5の倍数です。(最初のナンバーもそうですけど・・・)
-
日本ではアメリカから持ち帰った本を読むことに時間を費やしていました。私の両親は私が何を読んでいるのか知っていて、時々母が私のノートを盗み見ているようでした。母は英語の文章が読めないと愚痴を言っていました。
-
母親と出かけたときに、私たちの車を尾行する車や、自宅付近から走り去る車を見かけました。それらの多くは軽自動車かセダンでした。写真を撮ったりプレートナンバーをメモしたりしました。多くの車は違う都市からのナンバープレートを付けていました。何度かChevyやHummerなどのアメリカ車を見かけました。これは、私が彼らにアメ車を「ほのめかし」に使わせようと仕向けた結果です。
-
両親と祖父母の墓参りをした時 に、数人の人たちに尾行されました。私の母が車を道路わきに止めたときに、年老いた坊主頭の男性が白い軽自動車から降りてきました。それから、道路の反対 側で2人の高齢の女性が荷物を車から降ろして、墓地のほうに向かっていました。墓地は市内を一望できる広い丘の斜面を占めていて、祖父母の墓は道路から徒 歩15分ほどの場所にあります。祖父母の墓に着いて場所を掃除していたときに、先の坊主頭の男性が20メートルほど離れた場所から私たちのほうを見ている のに気づきました。それから、2人の女性が、男性の近くで草刈をしていました。その墓地を彼が訪れる理由があるか後で調べられるから、彼の車のプレートナ ンバーを記録しておきました。私たちが母の車に荷物を乗せていたときに、先ほどの男性は車に乗って走り去りました。
-
なぜだかわかりませんが、夜 中に私がドイツ語とフランス語を自室で勉強していたときに、両親が階下で話しているのを聞きました。両親は英語で話していて、「エリザベスは喜ぶだろう」 と父親が言っていました。いつでも、彼らの「ほのめかし」は日本語で行われていましたが、両親の口をスピーカー代わりに他人が喋っているように口調が違い ました。
-
盗聴電波発見機能の付いた無線機を購入した後に、サンノゼで日本人乗客の乗った飛行機が落ちたという記事を読みました。日系アメリカ人の所有する航空学校、「ナイス・エア」でのことです。
-
サンノゼに旅 行する数週間前、私の父が「訓練を受けたら、ゆくゆくは自衛隊に・・・」と「ほのめかし」をしていました。これは自衛隊がインドの北にある国に派遣される 記事について批判した後に起きました。母親との会話で、有能な通訳か言語学者・人類学者無しに、彼らは仕事に有用な情報を手に入れることはできないだろう と話しました。母との会話は父の「ほのめかし」を聞く一週間ほど前に交わしました。
-
変な時間帯にニュー スをテレビで流していて、容疑者の苗字は私のと同じでした。それから、他のニュースでは、私が前日に食べたものについて語っていました。新聞を調べたら、 どの放送局もその時間にニュースを放送していませんでした。夕方4時半頃にニュースは流れていました。大体夜6時にニュースは放映されています。これは、 私の両親か父親がテレビを見ているときに起きました。
-
私の父がニュー ロフォンのような装置を付けられていたようです。歯科で治療を受けた後で、声が聞こえると言っていました。彼が言っていたのには、「地元にヒラリー・クリ ントンが来る」というのがあります。父は近所の歯科に昔は通っていたのに、今回は父の妹の家の近くの歯科で治療を受けたようです。交通には1時間以上掛か るのにです。
-
ア メリカに旅行する日に、両親と新幹線で大阪に向かいました。関西国際空港行きの電車は、満員でドアの近くに立っていました。到着まで時間は掛からないから と言ったのに、父は空席を調べてくると言って立ち去りました。しばらく後に空席が見つかったといって父親が帰ってきました。向かい合った4席が空いていま した。席に着いたら2列ほど離れた席に座っていたアジア人の男性と白人の男性がドイツ語で会話をしていました。母が彼らの会話に気づいて、私にドイツ語で 会話しているかどうか聞きました。「ich」「ja」などの短い単語から、そうだと答えました。空港に着いたら、彼らは電車から降りましたが、白人の男性が私のほうを距離を置いて見ていました。