カリフォルニア再び
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2月1 日ーカリフォルニアのサンノゼに戻りました。関西国際空港からのユナイテッド航空の飛行機内で、ワイス助教授の私を訓練する興味とどのように彼女が私が 帰ってくるのを待っていたか話している登場客がいました。私のアメリカでの長期滞在の記録から、税関の係員が私の入国許可証に丸で囲ったIの印をつけて、 再度インタビューを受けるように別質に送られました。そこでは、ホームランドセキュリティーのオフィサーが彼らのコンピュータに載っている私のレコードに ついて話していました。「その時のバンク・オブ・アメリカの口座残高」や「エルカミノ病院が付けた精神病の記録」を調べることで、何が起きたのかわかって いるようでした。彼らはどのように大学が私の記録の作成に関与したかまで知っていました。彼らはどのようにサンノゼ州立大学がどのように私を追い出すよう に仕向けたかについて冗談を言いつつ、私のアメリカへの入国を許可しました。病院でのニューソム博士の最後の診 断である、「重度の精神障害」から、どのように「パラノイア」に記録が改竄されたのか分かりませんでした。空港内のハーツ・レンタカーで私は普通車と同様 の値段でゴールドメンバー用の4WDを借りることが出来ました。私がカウンターで係員と会話をしているときに、係員に電話が掛かってきて、その後全ての普 通車は出払っているから、その不便を補うために同価格でいいと言われました。そのオファーに同意して、サンタクルーズのミッションに向かって、Our Lady of Guadalupeの絵に感謝をしました。集団ストーカーがいなくなったかのように、私のアパートは静かでした。電気と水道は企業が止めたものと思っていましたが、どちらも機能していました。
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フランスで勉 強をしたいという私の興味を口にしたら、上の部屋からワイス助教授の悲鳴と「ゴンザレス博士のほうがいい!」と叫んでいるが聞こえました。彼女を学生が慰 めているようでした。彼らの話し声から、次回私が日本に帰ったときに監禁させる代わりに、ワイス助教授は学生を説得して私に何か働かせようとしていたよう でした。これは、なぜ去年の12月に帰国したときに脅迫を受けただけだったのか説明がつくようでした。
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2月2日- ワイス助教授の声を上階の部屋から聞いた翌日、アパートの通路で背広を着た日本語を話すアジア人を数人見かけました。彼らは私が帰国したときに起きる監禁 について「ほのめかし」をしていました。重低音のようなノイズを私のアパートで経験しました。電子ハラスメントの類かもしれません。学生たちは上階の部屋 に残っていました。彼らは通風孔からファイバースコープカメラを入れた監視を続けているようでした。私が宗教的なのを逆手にとって、サイコパスが演技をし ているというようなことを学生がほのめかしていました。彼らはワイス助教授が私をマグダラのマリアの後継者だと思って、ゴンザレス教授が否定するというほ のめかしを行いました。これは私の精神を混乱させるために仕組んだ計画だと思われます。なぜなら、私には私がサイコパスではなくてどうにかして宗教的だと 照明する道しかありませんでした。(心理学者ならもっとまともな説明が、このような心理的名虐待に出来ると思います)
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2月3日- ソノマのミッションに車で向かい、助けを得るために祈りました。それから、サン・ラファエルのミッションを訪れたら、子供と共に写真を撮る訪問者に囲まれ ました。ミッションは壁に監視カメラが取り付けられていたので、集団ストーカーは私の動作を監視しているのかと思いました。遠距離から、私が演技している と話している人々の声を聞きました。
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2月4日-司祭が昨年の12月に旅の安全を祈ってくれたように、グノーシスの教会を訪問しました。
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2月5日- サンフランシスコのミッションを訪れて、ヨハネパウロ2世の写真や他の品々によって励まされました。カソリックでもないのに祈りを捧げているから、私はク レイジーだと話している女性たちを見かけました。彼らは実際どのような手段でも心理的虐待を続けるようですが、わたしはただ、その教会の絵やステンドグラ スなどの聖人に助けを求めるだけでした。ミッションの墓地で、文化人類学の授業を一緒に取った女性を見かけました。
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南カリフォルニアに逃亡しました。ミッション・サンタバーバラやほかの場所を尋ねました。ミッション・サンタバーバラにて、私はOur Lady of Waterの像に出会い、それは聖母マリアからの答えだと直感的な詩を書きました。彼女の像は蛇を踏みつけているもので、私の置かれた状況に対して何を意味するものか分かりませんでした。(私がフランスのネバーを訪れて、聖ベルナデットがどのようにそこにある同じ像に祈るのがすきなのか話を聞いたときに、意味が分かりました。聖母マリアがどのように奇跡が怒るのか示してくれたのだと取りました。)
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2月9日-I-101を移動しているときに、PSPより大き目の白い装置を私のほうに向ける運転手が乗った車や、レーザーポインターを向ける車に尾行されました。
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2月11日- カーメル海岸を訪れて、殺害ではなくて監禁すると脅している人たちを見かけました。駐車場では、日本語の曲を聴いている人が乗った車を見かけました。黒の BMWでした。お昼ごろに、モントレーのフィッシャーマンズ・ワーフに向かいました。観光地なら人々の目もあるし、安全だと思ったからです。夜はサリナス のAmerica's Best Value Innに 泊まりました。向かいの教会のドアが開いていて、数人が入り口に立っているのを真夜中に見かけました。写真。隣の部屋の人たちは外でほのめかしをしてい て、私がどのように彼らのテストに落第したかとか、私のIQは条件に3点低かったと言っていました。これは彼らの心理的虐待のプロットの一部だと思われま す。彼女の車の写真(典型的な自己顕示欲を証明しているナンバープレート付きの車です)。
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2月12日- 9:30分に開館するカーメル・ミッションを訪れました。教会の中で椅子に座って祈りを始めようとしたら人々に囲まれました。また、古い教会では絵を描い ている男の人を見かけました。遠くでワイス助教授が私に対してエルカミノ病院で行ったことを話している人々がいました。
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2月13日- 州都を再度訪れようか考えながらオークランドの北部を運転していました。前回に州都を訪れた時は彼らの脅しが緩やかになったからです。湾岸に車を止めたと き、車が数台やってきてその小さな駐車場は満車になりました。何台かの車は駐車禁止地域に止めなければなりませんでした。I-80を降りたところにあるDays Innに 部屋を取りました。従業員は私に対しての警告を受けていたらしく、オフィスの真上の部屋を貸してくれました。私の部屋の近くの人たちは韓国語を話してい て、彼らがどのように日本の警察に私を捕まえさせようと計画しているか話しながら笑っていました。これらは、集団ストーキングでよく使われる別の州から来 た車です。ZIP フリーウェイ近くのHome Town Buffetで 夕食を食べていたときに、「あなたと共に食事をしている人を可哀想だと思え」と言っている、一人で喋り続ける女の人を見かけました。バッフェなのに、客は なぜか小食気味でした。母親と子供といった構成が客の多くを占めていて、不思議でした。バッフェの一般常識から掛け離れている気がしました。
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2月14日-リバモアからオークランドに掛けての地域にいました。リバモアのCrazy Buffetで食事を取りました。このときは、ラテン系や他の人たちを見かけました。変なの行動をしている人はいませんでした。
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2月15日- 州都を訪れようと決意して、サクラメントにあるモーテルに滞在しました。オークランドの中華のバッフェで昼食を取った時には、人々はそんなに食べていなく て、カクテル・シュリンプなどは量に限りがありました。モーテルでは、道を歩く人々が叫んだりほのめかしを行っていました。
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2月16 日-考えを変えて、サンフランシスコに戻ることにしました。ナパでフルサイズのケーキを買って、モーテルに滞在中の武器として持っていました。近距離でメ レンゲパイを武器として敵の目くらましを行う方法を私は知っています。集団ストーカーからどのように逃げればよいかわからなかったので、数人のアメリカの 識者の情報をシリア、レバノン、イランの有力者に対して人口制限の陰謀として送りました。これは彼らの脅迫手段を変えたようで、電子ハラスメントは私を雇 用するかしないかといたものではなくなっていました。
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2月17日-私は新しいタイプのニューロフォンの仕組みを経験しました。日本語の話し手は、私を殺すために幾つかのパーツを切断したといっていました。(もし彼らにそれが出来たのなら、すでにやっていただろうと気づくべきでした。)私はサニーベルのQuality Innに 向かって部屋を取りました。その部屋は後ろの出口の横でインターネットに繋げられませんでした。ロビーでも試しましたが、受付の人がサーバに問題があるか らと説明してくれて、部屋代を取られました。通路でアジア人男性が英語でほのめかしをしているのを聞きました。ルームキーと部屋番号の写真。($100を無駄にしました) Borders Bookstoreに運転して行き、彼らが脅したように殺されていた場合を考えて、何人かの人に情報を送りました。
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2月18日-サンフランシスコのTravel Lodgeに 泊まりました。彼らがどのように学生に対して同情的か話している何人かの人たちを見かけました。継続的に外から脅しを聞いていました。夜間ずっとインター ネットの接続をして、デジタルカメラを準備していました。私の部屋は身体障害者用で、死体解体などにも使用できそうなほどの大きなバスルームが付いていま した。深刻そうなのでストーカーの写真を取りました。外の身体障害者用の駐車スペース誰も使っていなくて、隣にはDODのステッカーを付けた車がありまし た。分厚いアメリカ聖書を武器として手に持って、聖母マリアの祈祷書を読んで一晩を明かしました。
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2月19日-午前3時ごろ、パロ・アルト近くのQuality Innに部屋を取りました。
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2月20日-
訳 19/12/07